23:本日お会いした人〜奥山弓子さん〜
22:旅行会社の会社員〜ちぃさん〜
21:出会った瞬間から面白い〜Nさん〜
20:本日お会いした人〜長久聡美さん〜
こんにちは!
長久さんはCorail(コライユ)というフラワー雑貨屋をしておられ、
花を生けるフローリストであり、色をコーディネートするカラーコンサルタントでもあります。
またパーソナルカラーコンサルティング、花嫁&花婿コンサルティング、
そしてフラワーレッスン、さらにはカラーセラピーもされています。
リラックスして、移動いらずで楽しんでいただきたいため、これらは全て出張レッスンスタイルを取っておられます。
そんな長久さん、20歳の頃は花屋でのお仕事をされていてパリに花留学をした経験もあるとのこと。
早速お話を聞いていきましょう!
僕「花を扱うお仕事を個人でしようと思ったきっかけについて教えて下さい!」
長久さん「それまで働いていた花屋が関西を撤退して、でも花に携わる仕事を続けたくて自分でやってみようかな?と思いました^^」
僕「自分でやってみる時に不安などはなかったですか?」
長久さん「不安はありました。店を構えないということや、キャリアやスキルのある人がたくさんいる中で自分は何を表現し、伝え、喜んでいただくことが出来るかが明確ではなかったことです。そこで自分のコンセプトをもう一度考え直しました。」
僕「どのようなコンセプトを考えられたんですか?」
長久さん「花を生けるときには色の組み合わせが大切だと思い、それをコンセプトにしました。フローリストの花を生けるテクニックと、カラーコンサルタントの色を組み合わせるセンス、私は両方の資格を取りました。お店では、お客様が言われるイメージを自分の中で描きます。でもそれだけだと抽象的で、上手くイメージ出来ないことも多いため、花屋時代は来られたお客様の手持ち品や服装も判断材料にしていました。暮らしにはたくさんの色があり、花とその色によって癒されることもコンセプトに入れました!」
お花屋さん時代の努力についてもお聞きしたところ、
一般的な「華やか」なイメージとは違って、とても地道で大変な努力があるようです。
花を売るプロフェッショナルとして花屋は舞台!と、
表向きには華やかなイメージを演じるそうですが、裏ではかな〜り厳しいお仕事だそうです。
長久さん「重いバケツ2個持ちなんて当たり前だし、冷たい水も扱うし、どちらかと言えば体力のある男性向けな仕事のような気がします。どれだけ辛くても、お客様の前では笑顔で振る舞うんです。花を生けている時の手際の良さも求められます。お客様に夢を与えるような手さばきも大切です。厳しく怒られている男性の人もいましたよ^^;」
夢を持たずに仕事を続けるのは、すごく難しいことなのかも知れません。
一般的なイメージはあくまで表舞台。
花屋を経て、フローリスト&カラーコンサルタントなど、花に携わっておられる長久さんに、僕のドドド定番の質問が出現しました。
僕「長久さんのこれからの夢について教えて下さい^^」
長久さん「個人で経営するためには集客も大切ですし、癒されるけれど生活に必要なわけではない「フラワー雑貨」でお客様に喜んで頂くためには、自分が作りたいものではなくお客様が求めているものを作らなければいけません。それを形にできるようになりたいです。今後は自分のサロンを持って、花を生けるレッスンをする場所や、花で癒される空間を提供できる場所を作ることが夢です!人生に咲く花🌹色プロデュースをテーマに、花でココロにサプリメントを、色でパーソナルカラー(外見力)やカラーセラピー(内面力)を楽しみながら取り入れ、花色の種をおひとりおひとりにお渡しし、咲かせていただくお手伝いをしていきたいと思っています。」
この日、展示ブースでは長久さんの製作したフラワー雑貨が並べられており、
とても丁寧な作りこみで細やかな器用さが感じられました!
したいことが決まっていてそれに向かって進んでおられ、やりたいことが見えていない僕はそんな姿にすごく憧れます。
まだまだ1歩を踏み出したばかりとおっしゃる長久さん、本日はどうもありがとうございました!
花屋は舞台。僕もさっそく今日からの接客に活かそうと思いました。
社会のコアな部分も、少しばかり垣間見ることができたと思います。
これからもよろしくお願いします。
今回も、最後まで読んでいただいてありがとうございました。
〜路頭に迷った大学生の今日の一言〜
夢なしに努力なし。ゆえに成功なし。
19:本日お会いした人〜鑑定師MASAHIROさん
こんにちは!
1年間で500人プロジェクトの木村太一です。
先日、滋賀県草津市で開催されたわくわくマルシェに行って参りました。
個人で事業を立ち上げたり、これからスタートしていく方が自分の事業について出展するこの「わくわくマルシェ」。
実は、このイベントにお誘い頂いたのにはきっかけがございまして、
なんと主催されている方が僕のブログを読んでくださり「是非こっちに来てインタビューどうぞ!」と、
ヤケドしそうなほどに熱いコールを下さったのです。
これは行くしかない!と、行動力がMAXまで上がります。
そう、起きて気付いたらその場所にいた的なアレです。
その日、わくわくマルシェにてお会いした1人目の方は、鑑定師MASAHIROさんです。
MASAHIROさんは「手相・風水・方位学」を使ってお仕事をしておらます。
20代の頃は、将来この職業「鑑定師」をすることになるとは思っていなかったそうです。
では、なぜ現在このお仕事をされているのか。
その流れついて深〜いお話をお聞きすることが出来たので、よろしくどうぞ!!
僕「MASAHIROさんが鑑定師を始めたきっかけは何ですか?」
MASAHIROさん「20代の頃は全く考えていなくて、その頃は野菜を作る農業に携わろうと思っていたんです。
その時はアルバイトもしながら農業に関係する求人を見ていたのですが、なかなか自分の興味分野である野菜作りがなくて悶々としていました。
そして今後はどうしようかと、アルバイト先のオーナーに相談しました。それでハローワークに行って、そこで見つけた仕事に就きました。
そうしたら意外と肌にあっていたのか、一番長く続いたんです。」
僕「最初は農業を目指していて、その後は仕事に付いて長く続いたんですね!
それにしても現在の鑑定師とは全然違いますね!」
MASAHIROさん「ちょうどハローワークに行っていた頃に、
本屋でたまたま手にとった雑誌に手相の特集が載っていて興味が湧き、
仕事をしながら手相の本を買って自分で勉強するようになっていました。
その時に就いていた仕事にはやりがいを感じていたのですが、
だんだんと単調な作業に思えてきて、またまた悶々とする日々が続いていました。
そんな中、手相の有名な先生に見てもらうために滋賀から名古屋に出向いて、
とても良いことをおっしゃって頂けたのですが、具体的な行動を自分から起こせずにいました。
仕事をどうしようかもやもやしていた時期でしたが時間はあったので、この時に農業体験をしようと思いが出てきました。
それが農家さんの方へ向かうきっかけになりました。」
僕「農業体験に行ってから農業を!と思いきや、その後は・・・」
MASAHIROさん「農業体験のために京都に出向き、滞在先の農家の地区で手作り市があったんです。
農家さんとお会いした初日、趣味の話の中で手相を勉強していると言ったら興味を持ってくれて、
その手作り市の農家さんのブース内で手相鑑定を出店させてもらえることになったんです!
しかも多くの人からお金も頂いて!笑」
僕「なんと!早速の実践投入だったんですね^^;」
MASAHIROさん「帰ってきてからはアルバイト先で手相を拝見する機会がいろいろありました。
その時はまだイベントで鑑定をするまでには至ってなかったんです。
そんな時、今度は別の有名な先生の通信鑑定を受けました。
その先生がおっしゃったことも大きかったですね。ピンポイント!でした。
その先生のお言葉でスイッチが入った感じでした。
そこから流れが変わり、滋賀県内のイベントに出店する機会が増え、良いご縁にもたくさん恵まれました!
振り返ってみると、手相との出合い、
手相と出合えて本当によかったです。」
なんという偶然でしょう!
もし、たまたま手に取った雑誌に手相が特集されていなかったら・・・
もし、その雑誌が売り場になかったら・・・
手相を見てもらいに名古屋まで出向いていなかったら・・・
農家さんの地区で手作り市がなかったら・・・
通信鑑定で同じ結果が出ていなければ・・・
1つでも起こっていなければ単調な仕事だけで悶々とし続けているのかも知れず、
このようにたくさんの偶然が繋がって今に至っているとのこと。
このような「偶然」こそ最高の教師なのかも知れません。
ちなみに、MASAHIROさんが通信鑑定に送るための手相画像を取った場所は、
コンビニのコピー機だとのことです!笑
コピー機に手をおいて、綺麗に取れるまで何度も!。
さすがです。この時すでに鑑定師の卵だったのかもしれません。
そんなMASAHIROさんの夢について教えて頂きました!
MASAHIROさん「私は手相を見てもらったことで、
自分の見えていなかった長所や才能に気付き、自信や希望を持つことが出来ました。
自分だけでなく多くの人にも、気付いていない長所や才能に気付いてもっと出していって欲しい!
私が手相を好きなように、他の多くの人も自分の好きなことに素直になって、
可能性を見つけられるようにすることが夢です!
人との繋がりは大切ですね。」
「手相・風水・方位学」を通して多くの人に自信と希望、そして可能性を与えたいと願う鑑定師MASAHIROさん!
お話をしていて、とても真っ直ぐで誠実な印象を受けました。
お時間を頂けて嬉しいです。ありがとうございました。
これからもよろしくお願いします。
今回も最後まで読んで頂いてありがとうございました。
〜路頭に迷った大学生の今日の一言〜
教師はいつも偶然に!
18:〜ながたちよさん〜塵も積もれば山となる。ほんの小さな出会いや偶然も積み重なったら伴侶がみつかり夢もみつかった!
こんにちは!
今回は、以前に山下弓さんの講座に行った時、初めてお会いした「ながたちよ」さんから、
滋賀県のコワーキングスペース「Root」にてお話を聞かせて頂きました。
僕は、JR西日本の情報誌の取材があると聞いて、少し早めに行っていました。
しばらくして取材の方たちが入ってきました。
(カメラを見て思ってたより本格的でビビりました)
パシャリ、パシャリ。シャッターの雨がRootに振り注ぎます。
この時、カメラが気にならないくらい自然に写真を撮るカメラマンが素晴らしかった・・・。
後ろで取られてても気づかなくて、霧雨が降る森のよう。
程なくしてながたさんが来られ、僕からの取材が始まります。
ながたさんは「ちょうちょ結び」というハンドメイド雑貨を作る事業を営んでおられるとのこと。
ひと・もの・場所が繋がる幸せと心地良い居場所づくりをコンセプトに、Made in Shigaの可愛い雑貨作りに取り組んでおられます。
では早速聞いていきましょう!
僕「なぜ事業を始められたのでしょうか?」
ながたさん「子どもが生まれて家がぐちゃぐちゃでストレスフルだった状態をなんとかしたいと思ったのがきっかけです。その中でチャレンジ支援講座を受けたり、野外保育や外遊びの集まりに参加してたんです。まだその時はやりたいことは決まってませんでした。そうやってとにかく家の外に出るようにしている中で、滋賀県の女性起業家たちが集まるミニJ300に参加したいと思い、屋号を決め事業を起こしました。小さな出会いや偶然がたくさん繋がっていて、山崎さんとの出会いもそれがきっかけです^^」
僕「偶然のきっかけがたくさん繋がっていたんですね!」
ながたさん「大学を半年遅れで卒業したことが最初のきっかけだったと思うんです。今まで最後まで成し遂げたことがなくて、何をしても中途半端で終わってた。そんな時に留年が決まって、もう悔しくて悔しくて。そこで真剣に取り組んだ卒業論文が先生に褒められて、初めて大きな達成感を味わいました」
留年の悔しさから、フランスの児童文学をテーマに卒業論文に真剣に取り組んだそうです。
その悔しさは、この時のながたさんの表情にも表れていたように思えました。
留年しても悔しさなんて微塵もなく、のほほんとしてる僕はまだまだなのかな〜と思ったりします^^;
ながたさん「大学卒業後は派遣に登録して、福祉施設の作業所で働くことになりました。福祉の経験もなく聞いていた職種と全く違っていたので、その福祉施設は1日でやめようと思ってたんです。しかもそこにいたのは同じ高校の1つ下の後輩で、さらに高校時代の気まずいエピソードを共有している関係だったので、もう気まずいし、ぎょっとした!知ってる人の前で1日で辞めるのもバツが悪すぎる。契約期間の1ヶ月だけでも続けるしかないと思ったんです。けれど2ヶ月目も働くことになり、そして3ヶ月目からは非常勤の職員として直属で働くことになったんです^^;」
う〜ん何とも言いがたい状況!笑
とてもとても、気まずさ山の如し。
ながたさん「最初は私の上司として接してたんですが、ちょっとした偶然とタイミングが重なって2年ほどして付き合うようになりました!その後、1年ほどして結婚したんです!そして新婚旅行では、なんと卒業論文で児童文学について調査したフランスのエピヌイユ村にも行きました!最初は興味がなかった福祉の面白さも知ることができ、今の活動のコンセプトにも繋がっています!」
僕「感動的なストーリーですね!!偶然に偶然が重なって起こったこと。すごく貴重な経験が聞けました^^」
ながたさん「ほんとにね〜^^派遣初日に彼がたまたま遅くまでいて、そこで話しかけてくれなかったら1日で辞めていたでしょうし、連れて行かれた先がその福祉施設じゃなかったら今はないし、そもそも留年してなかったらこんなことも起こらなかったでしょうね^^;」
僕「最高の経験を、されたんですね!!」
ここでしばらくの休憩をはさんでいる間に、ながたさんはJR西日本の取材を受けておられました。
さすがのJ300です。カメラの前でも緊張することなく自然に話していた姿からは社長オーラが出ていました!
そしてインタビューの続き−クライマックス−です!
僕「では、ながたさんのこれからの夢について教えてください!」
ながたさん「おばあちゃんになっても細く長く事業を続けることです!そして旦那さんと私のそれぞれの夢を、お互いに助けあって叶えることです!」
僕「最高の夢を、叶えてください!!応援してます!!」
ちなみに後談ですが、ながたさんは、
「何かの「きっかけ」って決してドラマチックでインパクトがあることとは限らず、日常の中にうもれていたり、その時は価値を見いだせなかったり気づかない程度の小さな塵みたいなものにもある。だけどその「きっかけ」を取りこぼさずに積み重ねた結果、今こうして事業を起こして活動している!って言うことをインタビューを通じて伝えたかった!」
ということにも気付いたそうです。
ふんわりした雰囲気のながたさん、これからの可能性は無限大!
僕も追いかけます!!
ながたさん、今日はお話を聞かせて頂きありがとうございました。
ハンドメイド雑貨はとてもお洒落で綺麗です。
次はビジョンマップ作りでお会いしましょう!
Thank you!!
最後に、今回のタイトルが少し違っているのにお気づきでしょうか?
ながたちよさんに考えて頂きました!
自分で出来ることを「あえて頼んでみる」のも繋がりを強くする秘訣なのかも知れません。
そして僕が思いつかないタイトルには、それぞれ違った世界観が存在するのでしょう。
今回も、最後まで読んでいただいてありがとうございました。
〜路頭に迷った大学生の今日の一言〜
偶然を拾う努力が必然となる・・・
17:本日お会いした人~杉若恵亮さん~
こんにちは!
ちょっと前に「周りを気にしなくていいように仕切りがあるラーメン屋で有名な~蘭に行ってみたら、
異様な雰囲気で変に静かすぎて怖くて、逆に周囲が気になって仕方がなかった木村太一です。
しかも女性(大学生ぽい)の1人ラーメン率高し。
さて巷で噂になってそうな気がする「1年間で500人プロジェクト」も好調で、
今回は「杉若恵亮さん」というお坊さんとお話することが出来ました。
杉若さんとは、以前番外編でご紹介した山口隆太くんの繋がりでお会いすることができ、
この度、1対1でお話が出来て大変嬉しく思います。
杉若さんはお寺の長男として生まれ、外大に通ったり龍谷大学の聴講をしていた時期を経て、22歳でデザインの専門学校に入学。
卒業後は本格的にお坊さんの道を歩み始め、現在では日蓮宗法華寺の住職をする傍ら、ボンズクラブという誰でも参加OKの自由に語り合う機会の提供や、国境なき僧侶団という活動もされています。
杉若さんの人物像を知っていただくため、対談の際に出てきた名言から紹介しましょう。
「高校時代はテニス部で大学からスカウトが来ました」
「私は師匠に365日中365日ぐらい怒鳴られていました」
「小中校時代は門限までに帰って1日の報告をするのが日課でしたね。」
「ハッキリしゃべれ!歯を食いしばれ!などと怒鳴られました」
「大学の時に反抗期が来ました」
「私はひねくれ者なところありますから。」
「夢は叶わないというのが大前提だから、そのためにコツコツと目標をこなして いくのがいいのです。」
と、たくさんありますが、この日最大の名言は最後に書くとして、世間ばなしから対談へと変わっていきました。
僕「杉若さんが子どもの頃は厳格な家庭が嫌だったとのことですが、その心境が変わったきっかけはありますか?
杉若さん「大学に入ってからかなぁと思いますね。私にとっては怒鳴られる家(寺)とは違って学校はオアシスです。特に時間にユルい大学は楽しい~!学園祭の準備で(帰りたくなかったのもある)ずっと帰らなくて、1ヶ月ほどしてやっと帰った時には、カミナリを超えるカミナリを落とされましたね。その時に家を飛び出して、まあ瞬発的家出みたいにね。それがお釈迦様やとなぜか出家になるんやけどな。まあ家飛び出して、けどその夜にこっそり帰ったら置き手紙があった。「自分の心をもう一度見つめなおせ。良いことであれ悪いことであれ、自分の心と向き合うことも大切である」と。その時に親が大切に育ててくれてたんだと、愛情が伝わってきて号泣したわけ。それからは相変わらず怒鳴る師匠にも、不思議と耐えられるようになりました。」
僕「大学時代も怒鳴られてたんですか!笑」
杉若さん「怒鳴る師匠は現在進行形。今でも怒鳴ってばっかり。まあその大学時代にハッと気付いたのが変わったきっかけです。」
僕「エネルギーが有り余る師匠(親父)なんですね!杉若さんが26歳で僧侶一筋となり28歳で住職になり、それからの活動についてはいかがですか?」
杉若さん「私は仏教界の問題点を考えてみたら、それは仏教が浸透していないことだと思ったんですよね。なぜかというと広める努力をしていない。「自分たちはチラシ作るだけで配るのも誘うのも他人まかせ」ではいけません。たいていの人が法事の時しか寺に行かないって寂しいことですよね。 法事の説法もマニュアル化されてたり、心がこもってないことも多いです。多くの人々は、最近悩んでるしボンサンに相談しに行こうとか、まずボンサンと知り合う機会すら少ないですよね。」
僕「そうですね~!僕も今日初めてボンサンと話しました!確かに仏教の浸透は課題ですね。」
杉若さん「多くの人は「法事で寺行くしいいじゃないか」というけど、それは仏教が心に届いてない。仏教はもともと哲学であり、それが何千年と経ってる間に宗教色が強くなっただけで、本来は我々がどうあるべきかを問う手段としての仏教哲学なわけです。」
僕「我々がどうあるべきか。本来は哲学だったんですね!そういえば先日のボンズクラブでは、「人間は自由に生きて良いし何を選んでもよい。ありのままに!」とおっしゃっていましたが、それを「自己中心的・傍若無人」と誤解する人が少なからずいます。それについてはどうお考えですか?」
杉若さん「それも、本質を知ってるかということです。人間という高等な哺乳類は、自分に対してするべきことと他人に対してするべきことの2種類が存在しますよね。それをした上で自由にするのと、自由という名のもとに無茶苦茶するのとは違います。人を殴るなんてのは犯罪で、人の感情を無視しています。そんな小学生にも満たない大人が多いから、そんなのを見て育った人が「自由」と聞くと「自己中心」と混同してしまうかもしれません。」
僕「混同してしまうのも無理はないですね。もはや「ありのまま」を蔑ろにしすぎて「自由」の意味すら知らないところまで来てるのかも知れません。」
杉若さん「要は、やるべきことやった上での自由なのか、ということです。たとえ自由だからといって人を刺したり通りすがりに殴ったり、それは人徳を無視した「罪」を犯してるわけで。」
人の心を持つことの大切さを語る杉若さんは、合間に笑いを交えつつ対談をしてくださり、よくあるお坊さんの堅いイメージはなく、むしろユーモアに溢れる方でした。
途中、プロジェクトを始めたきっかけである「将来の道」についてのアドバイスと応援も頂きました。
杉若さん「夢は叶わないもの。叶わないから夢なんです。イチローだって目標は達成しても夢は叶ってないと思う。だからこそ次の目標を目指せる。」 とおっしゃる杉若さん!
最後に、杉若さんの夢について(冒頭でお約束の)大名言を語って頂きました。
僕「では、杉若さんの今後の夢について教えて下さい!」
杉若さん「宗教がなくなることです。」
僕「!?」
名言中の名言であります。 もっと深い意味がありそうですので、どういうことか聞いてみると・・・
杉若さん「もともと哲学だった仏教も、年月を経て次第に宗教色が強くなってきた。今では宗教に起因する戦争もたくさんある。それでも宗教がなくならないのは、それだけ人々の心が飢えてるのかもしれません。それぞれ個人が己を大切にし相対する人々が互いを認めあい共有する空間と時間を有意義に活かし、心から満たされている喜びを感じ分かち合えれば宗教なんてもう必要としない。そんな世界にすることが夢なんです。 」
大らかで大胆で、揺るぎない信念と確固たる軸を持っておられる杉若さん。
今回の90分に及ぶ対談は、「大名言」での終了となりました。
杉若さん、本日は本当にありがとうございました!
ただでさえ多忙な杉若さんの貴重な時間を割いて頂いた僕は、やっぱり幸せ者なのかも知れません。
今後ともよろしくお願いします。
今回も最後まで読んでいただきありがとうございました。
~路頭に迷った大学生の今日の一言~
今の悩みなんてちっちゃいもんやで・・・